2010年01月09日
ジメサア
もう一昨年の話になりますが「篤姫」で島津家の女性の存在が有名になりましたね。さて、戦国時代にも注目すべき島津家の女性がおります。
鹿児島市立美術館の門をくぐり、建物に入る手前で左、西郷さんの銅像がある方へ向かって歩いていくと少し引っ込んだところに石像があります。
石像の隣には鹿児島市の立てた案内板があり、「ジメサア」についての説明がされていますが、この方は18代島津家当主で初代薩摩藩主島津家久夫人の持明院様(じめいいんさま)といいます。16代島津家当主であった島津義久の三女で、義久はこの三女を一等可愛がっていました。はじめは家久の兄である久保(ひさやす)に嫁ぎましたが、久保は病死してしまいます。その後家久夫人となるのですが、案内板にあるように「器量は良くなかったけれど心優しい夫人で幸せな家庭を築きました」ということはなく、実際のところ夫家久との仲は最悪だったそうです。
鹿児島から国分へ追い出され(なので持明院様は国分様とも呼ばれています)、仕送りもなく貧乏暮らしをされ、死後は墓を建ててもらうこともなく挙句冗談のような和歌を送られるという始末。
それでも家久と側室との間の子供(19代当主光久)の養母をやったりしてるんですから…。私にはできません。この心の広さと忍耐力を尊敬しています。
ここのジメサアに触れると美人になれるとか、持明院様を祀っている「鶴嶺神社」に御参りすると美人になれるとか、そんな話がありますが、心が美人になれるのでしょう、と信じています。
毎年10月5日にはジメサアのお化粧直しが、11月5日には鶴嶺神社にて慰霊祭が行われています。
美術館を訪れた際はぜひジメサアにも会って行ってください☆
鹿児島市立美術館の門をくぐり、建物に入る手前で左、西郷さんの銅像がある方へ向かって歩いていくと少し引っ込んだところに石像があります。
石像の隣には鹿児島市の立てた案内板があり、「ジメサア」についての説明がされていますが、この方は18代島津家当主で初代薩摩藩主島津家久夫人の持明院様(じめいいんさま)といいます。16代島津家当主であった島津義久の三女で、義久はこの三女を一等可愛がっていました。はじめは家久の兄である久保(ひさやす)に嫁ぎましたが、久保は病死してしまいます。その後家久夫人となるのですが、案内板にあるように「器量は良くなかったけれど心優しい夫人で幸せな家庭を築きました」ということはなく、実際のところ夫家久との仲は最悪だったそうです。
鹿児島から国分へ追い出され(なので持明院様は国分様とも呼ばれています)、仕送りもなく貧乏暮らしをされ、死後は墓を建ててもらうこともなく挙句冗談のような和歌を送られるという始末。
それでも家久と側室との間の子供(19代当主光久)の養母をやったりしてるんですから…。私にはできません。この心の広さと忍耐力を尊敬しています。
ここのジメサアに触れると美人になれるとか、持明院様を祀っている「鶴嶺神社」に御参りすると美人になれるとか、そんな話がありますが、心が美人になれるのでしょう、と信じています。
毎年10月5日にはジメサアのお化粧直しが、11月5日には鶴嶺神社にて慰霊祭が行われています。
美術館を訪れた際はぜひジメサアにも会って行ってください☆
Posted by ひさな at 00:11│Comments(2)
│持明院様のこと
この記事へのコメント
初めて
最近、義久を追いかけています。
三姉妹は、なかなか資料がありませんわね。
嬉しいですわ。
まts、お伺いします。
最近、義久を追いかけています。
三姉妹は、なかなか資料がありませんわね。
嬉しいですわ。
まts、お伺いします。
Posted by より at 2011年08月23日 12:05
吉松はどちらの御出身でしょうかね。
Posted by 湧水ぼけ老人 at 2012年03月20日 01:16